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静岡地方裁判所 昭和41年(わ)161号 判決 1966年12月22日

被告人 竹沢常雄

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中、二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三九年三月頃から宮本定雄所有のまぐろ専用漁船第三誠勝丸(一九二・九六トン)のコック長となつて同船に乗組んで稼働していたが、昭和四一年三月一六日午後六時一五分頃(日本時間、以下同じ)、同船がセイロン島コロンボ西約八〇〇海里、北緯約六度五九分、東経約六四度二三分付近の印度洋上を東南東に向かつて時速約三ノットで航行して操業中、同船前部甲板第三魚艙付近において、甲板上にあつた冷凍鰹を右魚艙の上に置きこれを調理して鰹節を作ろうとしたが、右鰹は同船甲板員星紀康(当時二二年)が塩辛を作ろうと甲板上に出しておいたものであつたため、同人から文句をいわれて、鉈の峯で左肩を一回殴打され、「何をこの野郎鉈で頭を殴られないとわからないか」等と大声ですごまれたので、これに立腹し、「やるならやつてみろ、俺はこんな鰹で喧嘩やりに来たんじやあない」と応酬したところ、同人から前記魚艙蓋上にあつた鉈の峯で頭部を二回位殴打され、両手で頭をかかえてうずくまるようにしたところをなおも同蓋上にあつた鉄製パイプおよび棒ずり(デッキブラシ)で腰部を各一回位殴打され、次いでニユームのバケツを肩の辺に投げつけられたので、その直後すでに右星が被告人の傍から約三メートル離れており引続き攻撃に出でる態勢になく急迫不正の侵害がなくなつていたにも拘らず、以前に同船で甲板長が同僚に殺害されたこと、星が短気で乱暴な男であることを想い起こし、前記のようないきさつからしてこのままでは同人から殺されるのではないかと誤想し、咄嗟に同魚艙蓋の上にあつた刃渡り約一八・五糎のあじ切包丁(昭和四一年押第六八号の一)の柄を右手で掴みとり前方約三・五米の船首寄り甲板上にやや体を左斜前にして被告人の方を向いて立つていた星の胸部めがけて右包丁を投げつけ、同人の左上肢肘外側部に命中せしめて左上肢を貫通し左胸部心臓に達する刺創を与え、よつて同日午後六時四〇分頃、前記コロンボ沖を航行中の同船上において、同人を心臓刺創により失血死させたものである。なお被告人の所為はいわゆる誤想防衛であるが、防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するから、所定刑期中有期懲役刑を選択し、なお誤想防衛であるがその防衛の程度を超えたものとして同法三六条二項、六八条三号により法定の減軽をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件被告人の所為は正当防衛であり、仮りにそうでないとしても誤想防衛にあたると主張するので、この点について検討するに、判示認定のように星紀康が被告人の頭部を鉈で殴つたり鉄製パイプで腰部を殴りつけるなど少くともバケツを投げつけた直後あたりまでは被告人の身体に対する不正の侵害が継続していたことは認められる。しかしながら証人蜂谷市良の当公判廷における供述、同人の検察官に対する供述調書によれば、判示の如くバケツを投げつけた直後被告人が包丁を手にして対峙して来るのを見て獲物を持たない同人は、一、二歩後方へ退いたことが認められるから、少くともその頃には既に星の被告人に対する攻撃は一応終了しさらに加害行為に出る緊迫した状態にあつたと認められないので、刑法三六条一項にいわゆる法益侵害の急迫性があつたものとは認め難い。したがつて弁護人の本件被告人の所為が正当防衛にあたるとの主張は採用しない。ところで判示の如く被告人は、以前同船において甲板長山本某が甲板員本橋某に匕首で刺殺されるという事件があつたことを思い出し、また星が短気で粗暴な男であつたことを日頃聞知していたので、判示のように星から一方的に鉈の峯で頭部を殴打されて一瞬呆然としてうずくまつていたこともあつて、バケツを投げつけられた直後、我に返つたものの、判示の経緯からなお同人に殺されるのではないかと咄嗟に誤信して防衛行為に出でたものであつて、被告人の右反撃行為は誤想防衛に該当するものといえる。しかしながら前示各証拠によれば、被告人の考えるごとく、星からの急迫不正の侵害がさらに加わるとしても、当時同人は素手であり、また前記のように被告人が包丁を手にしたとき星は一、二歩後退さえしていること、および同人の判示加害行為の態様、手段方法、その結果などに照らせば同人の攻撃を阻止するためには判示のように至近距離から星の胸部めがけて右包丁を投げつけ同人の上肢、左胸部心臓に命中させて同人を死に致した本件所為は防衛上の必要な程度を超えたものといわねばならない。したがつて被告人の判示所為は誤想防衛ではあるがその防衛の程度を超えた過剰防衛にあたるものというべきであるから、刑法三六条二項により判示のとおり処断した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石見勝四 高井吉夫 吉川義春)

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